動きが止まった空間

現役時代、よくエキナカのカフェで珈琲を飲み、窓越しに駅へ猛烈なスピードで急ぐ人たちを眠気覚ましに眺めていたが、隣の席で出勤前の電車待ちのお茶時間でさえPCのキーボードを叩いている人間含め、日本人の企業戦士ぶりは24時間闘えますか?というCMが流行った40年近く前のバブル全盛期と全く変わってないなといつも思っていた。

働き方改革が叫ばれる今、24時間闘えますか?などというCMを流したら笑い事では済まないが、当時はみんな喜んで歌っていた。あたかも自分は24時間闘えると言わんばかりに。

行政だとか医療だとかの一部を除けば、基本的にはモノにせよサービスにせよ何かしらを生産する職業に就いている人がほとんどだろうけど、まあ申し訳ないがこの企業戦士たちには価値創造などできないだろうなと思い眺めていた。

できもしない口先だけのプレゼンを出勤前のお茶タイムまで使って作るより、周りで笑顔もなく足早に会社に向かう風景をよく見て、彼らに必要なモノやサービスを創り出してみろと。

時は流れ僕は今、田舎カフェを経営している。

僕が提供しているのはオフになるための空間と時間と珈琲である。

カウンターから外を眺めると全く動かない風景がある。人の流れも無い、車も滅多に通らない。動くのは風に吹かれ揺れる木の葉くらい。

あとは流れるジャズと香る珈琲。

あるお客様から帰り際に、全く違和感なくスマホを眺めない時間を持てたと嬉しそうに言われ、こちらこそ僕がやろうとしていることに共感をいただき感謝ですと伝えた。

オフの時間を持ち、心を解き放てない人に何かを創造することはできないとずっと思っている。

この空間はボロボロと流し失ってきた時間と思考を取り戻せる空間であると確信している。